答えのない問いを考えられる贅沢
就活生に「御社の理念となっている”◯◯"(言ってしまうとどこの会社かわかるので、未来をつくる的な意味の理念だと思ってもらえれば・・・)について、どういう風に解釈していますか」と聞かれた。
そんなこと考えて就職活動に打ち込んだのかすら遠い記憶・・・、そもそもそのような理念があったことを知らなかった・・・かもしれない。
すぐにそれっぽく「私はもちろん考えていました」という顔で、ゆっくり落ち着いたふりをして、現在進行形で急いで答えを捻り出したのが、
「データサイエンティストが今ホットな職業として話題にあがっているが、そもそも10年前にデータサイエンティストという職業はなく、今データサイエンティストになっている人は10年前からその職業になるために意図的に準備してきた訳ではない。(少数はいるのかもしれないけど。)
たまたまその職業に必要な要件を兼ね備えていたからこそ、今データサイエンティストになっている訳で・・・。きっと理念にある「未来をつくる作業」というのは、同じように10年後どうなるかわからない未来に対して、今どうすべきかという答えを出し続ける姿勢ではないだろうか(ドヤ顏)。」
われながら良いことを言ったと思うのと同時に、どうなるかわからない未来に対して答えを出すことは贅沢なことなんだと思った。
そして言ってしまえば、わからない未来に対して予測を企て、その予測のもとに戦略を練っても、予測が外れてしまえば壮大な社会実験の失敗の出来上がり。そりゃ占い師だって未来について責任なんか持てないんだから、一歩間違えればただのペテン師だなと。
だからこそ、常に今やっていることについての社会意義を問われ続けられるし、真摯に向き合うために準備をしているのか、ということになるのだろう。
だから知的好奇心がなく、また新しいものに対するいい意味での尻軽さがなければ、陳腐化されてしまうのだと再確認。自分をアップデートし続けることに苦を感じない人向きな業界なんだろうなと実感。